中学校のこの時期は、定期テストの季節である。

私はそのすがたを見て、あらためて受験やテストとは冷酷なものだと感じている。

自分が学生のときはそう感じなかった。私自身、小学校も中学校も高校も大学も受験している。にもかかわらず、そのように感じたのは、実際に子どもたちと関わってみて、受験やテストの「本質」について様々なことを考えたからだ。

「本質」とは、受験とは試験のことである。試験を受けるのは合否の結果を得ることだ。その後は、受かったか受からなかったの、どちらかしかなくなる。受験生になることは、その後の自分に対し、受かったか受からなかったかの、二項対立を受け入れることだ。

私たちはつねに、イエスかノーかの判定日がきまっていない未来を生きている。

未来にはいろいろな可能性が重複し、そのあいまいさについて考える。まさか、子どもの人生についても、なにが一番良いか決定できると信じている親はいないだろう。

しかし、受験は未来のあいまいさを奪ってしまう。将来の計画を立てるときつねにそのことを考えなければいけなくなる。

なにが受験やテストが冷酷なのかは、受かる、受からない、の単純な二項対立ではない。本当に冷酷なのは、それが数十年に渡り、子どもたちや家族に対して、その単純な二項対立自体を押し付けてくることそのものにある。

しかし、単純な分岐など存在しない。もちろん、いい点をとったらそれに越したことはない。人生は様々な選択で溢れている。そのことを頭の片隅にいれてテストに臨んでほしい。